日本の原風景 レンゲ田

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2015年8月2日日曜日

薩摩の命、薩摩の心を伝える「第56回関ケ原戦跡踏破隊」

こんばんは。
ほんっとに熱いですね(^_^;)
みなさま、熱中症にお気をつけくださいね。

今日は美化day。朝から地区住民総出でで、自治会内の清掃や草刈りをしました。
すでに先週終わられた所もあると聞いております。
終わってから、防災訓練でタンカの使用方法、簡易トイレの設置についての講習会がありました。

その後、畑に行って綿の写真を撮ってきました。
この炎天下、畑の野菜ちゃんたちは元気に育っておりますよ。

うちの綿もこんなになりました。土壌が合わなかったのか、数本しか育ちませんでしたが、元気に育っている綿はいずれ、花をつけ、綿の実がなることでしょう。その時が楽しみです。


さて、それでは鹿児島からやってきた「第56回 関ケ原戦跡踏破隊」の皆さんのレポです。

第56回という回数が示す通り、今年で56回目になるという踏破隊は昭和35年から毎年夏休みに行われている伝統行事です。
前にもお話しましたが、関ケ原の戦いで西軍として戦った島津軍は、
敵に後ろを見せるのは武士の恥として、敵中を突破。
多くの犠牲を払いながら、たいへんな苦難を乗り越え、大阪にたどり着き、
海路、薩摩へと向かいました。

この時、関ケ原から多良を通り、西山から五僧保月の集落を越えて多賀へ出て、西国へ向かったと伝えられています。

この踏破隊はそうした先祖の苦難を忘れず、
自らも先祖がたどったコースを歩くことで心身を鍛え、
また、旅先で多くの人々と出会ったり、
いろいろな体験をすることで見聞を広め、
より広い視野を養うことを目的としています。

踏破隊と多良のご縁は、
上多良の瑠璃光寺に島津豊久の位牌があること、
すぐ近くに島津塚と呼ばれるお墓があり、
島津豊久の墓と伝えられていることからです。

豊久が戦死して、島津の家中ではなんとかして豊久の
お墓の場所を知りたいと長年にわたり、
八方手を尽くして探しましたが、
関ケ原から牧田に至る烏頭坂で戦死ししたと伝えられるのみで
お墓の在り処はようとして知れませんでした。
ところが、関ケ原から200年ほどたったある時、
多良の島津塚の話が家中の耳に入ったのです。
くわしい顛末はこちらを

現在も一月に一度ぐらい、豊久のお墓を訪ねて若い人が来られるとのことです。

なにせ、テレビもカメラも携帯電話もなかった昔の事、
今となっては伝承の真偽も確かめるすべはありませんが、
島津塚という以上、島津ゆかりのだれかが眠っているには違いないでしょう。

さて、今回、踏破隊に参加したのは妙円寺小と伊集院小、伊集院北小の5.6年生15名の子どもたち。
そして、日置市副市長の平田敏文さん、元県議会議員の岩崎昌弘さんはじめ、6名の指導者のみなさん。
5、6年生の中には今年で2回目という子どもたちが5名、指導者の中には今年で24回目という方もいらっしゃいました。

7月29日に伊集院駅前に集合した一行はお昼すこし過ぎに関ケ原に到着し、古戦場めぐり。
翌日は烏頭坂の豊久の墓、牧田の琳光寺の阿多長寿院の墓に詣でた後、
薩摩義士の墓参りに養老町から木曽三川方面へ。

31日には南濃町の駒野越え。
田辺・川原を経て、
時の下山から「緑の村公園」の奥養老へ。

そして、8月1日は7時40分に奥養老を出発。
島津塚へと向かいました。

なずなもSさんと共にお供させていただきましたよ。


奥養老前で。
炎天下、さすがに三日目となるとやや疲れも見えましたが、
「いってらっしゃ~い」の声に見送られて
島津塚めざして元気に出発しました。
そろいの菅笠に、赤い陣羽織がカッコいい!

何度も来られている指導者の方は、j陣羽織にも年季が入ってます。
しかも、みなさん、大変なハイスピード。
わたしとSさん、ついていくのが大変でした。



          約30分後、島津塚に到着。
上多良区の役員さん、上石津地域事務所の所長さん、課長さんたちが出迎えてくださいました。



               ご住職の読経を聴きながらお参り。
               私たちもお線香をあげさせていただきました。


               祭文を読む伊集院北小5年生の前鶴航希君。

               薩摩の命を伝え、薩摩の心を伝えるというところに、
               踏破隊の熱い思いが込められていました。



杉林の中にひっそりと立つ「島津豊久公顕彰碑」


瑠璃光寺本堂にて。

祭文を読む伊集院小6年生の北迫彩生奈さんは二回目の踏破隊参加。

丸に十字の島津家の紋。
インパクトありますね。



      

       一緒に来ておられた日置市職員の平田さんによれば、この踏破隊は旅行ではなく、
       研修ですからと来る前に参加者にきちんと説明するとのこと。
       歩く道すがらも礼節にはとても厳しく、ふだんの生活では見過ごしてしまいそうな
       ことも、しっかりと注意を受けます。
       祭文はパソコンに入っている元データを読む子が1人ひとり書いて写すそうです。
       書き写すことで、その内容を正しくしっかりと理解するようにということでしょう。

       この踏破隊については、市からの助成のほか、企業等からの浄財でまかなっている
       のだそう。

        踏破隊に参加すると、名前が関ケ原にある石碑に彫られます。
        それも大きな名誉の一つ。

       今回やってきた子どもたちの保護者のみなさんや祖父母の方も、
       同じく踏破隊で来られたことがあるのかもしれませんね。

       「踏破隊は私の生きがいです」とおっしゃっていた平田さんの言葉が印象的でした。

        中央の赤い陣羽織の方は、日置市副市長の小園さんです。
       
       



瑠璃光寺でお茶をいただき、一休みした踏破隊一行は、
薩摩の誇りと気概を胸に
西山から時山、五僧保月めざして多賀ふれあいの里をめざし、元気に旅立って行きました。

2日に大阪城を見学して帰路に着きました。

踏破隊の皆さん、短い時間でしたが、熱い感動をありがとうございました。
また、来年も元気で多良に来て下さい。

お待ちしてますよ~♪













3 件のコメント:

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  2. お世話になりました。息子も参加しておりました。関ヶ原踏破隊が、どんな事をしているのか、どんな道を歩いたのか、見ることが出来、助かりました。ありがとうございました!

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    1. はじめまして。管理人のなずなです。この暑い中、遠路お越しいただき、本当にありがとうございました。実は私も地元の人間ながら、拝見したのは今回初めてでした。56年という長きにわたって先人の遺徳をしのび、顕彰されているのは本当に素晴らしいことだと思います。書き込みがあったこと、地区の担当者にも伝えておきます。また、来年も踏破隊の皆さんをお待ちしております。

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