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2021年3月31日水曜日

アルミ缶は多良小学校の回収ボックスへ

 おはようございます。

昨日は広報部会でした。

今年で10年という節目を迎え、リニューアルの相談もしています。

さて、まもなく通信4月号が発刊されますが、その中であきさんが多良小学校のアルミ缶回収について、楽しい会話調でご案内をされています。地域のみなさま、母校のためにぜひ、ご協力を。

場所はこちらになります。




2021年3月28日日曜日

多良の野山は花盛り🌸

 おはようございます。

今日はあいにくの雨ですね。

先日の学校の記事にたくさんのアクセス、ありがとうございました。あれからまた新聞にも掲載されていましたね。これを機会に学校について、考えていただく機会になればと思います。

多良中学校出身で、現在は愛知県にお住まいの方からも貴重な卒業文集の表紙のコピーとともに、父の写真もいただきました。昭和34年って、実は私が生まれた年でした。当時、父は多良ではなく時の学校にいたのではないかと思うのですが、また私の知らない父の写真をいただきました。この場を借りて、感謝いたします。

それにしても思いのほか、たくさんの方、しかも遠方の方がブログを見てくださっているのだと思うと励みになりますね。


さて、昨日はいいお天気だったので、野山を経めぐって花の写真を撮ってきました。桜は山桜は早いようですが、ソメイヨシノ系は遅いようです。松の木インターはまだこれからですね。ソメイヨシノは江戸時代につくられた園芸品種なので、日本中そこでもDNAが同じです。一斉に開花して一斉に散り始めます。エドヒガンなどは大変長命で、1000年以上生きる桜も珍しくありません。根尾谷の淡墨桜もぼちぼちのようですよ。

それでは写真をご覧ください。

珍しいミツマタの花もさいていました。ご存じのように、ミツマタは楮と同じく、和紙の原料となります。日本紙幣の原料はミツマタらしいです。でも沈丁花科で有毒なため、鹿が食べないんだとか。生えているのを鑑賞したり、写真を撮ったりするのは大丈夫ですよ。貴重な植物なので、ぜひ、地元の方は大事にしていただきたいと思います。

お隣の多賀町にはとても美しいミツマタの群落があります。

















2021年3月21日日曜日

今須小中学校閉校に思う

 こんばんは。今日は終日春の嵐でしたね。傘も吹き飛ばされそうな勢いでした。

ご存じの方もあるかと思いますが、昨日、今日と関ケ原町今須の小中学校が閉校になり、学校開放が行われました。私は今須には親戚もいませんし、今須の学校に通ったこともなかったのですが、50年ほど昔、まだ今須中学校であったころ、父が今須中学校に勤務していたので、もし写真が残っていたらいただけないかと思い、行ってきました。


この雨にもかかわらず、親子連れなどが学校を訪れ、掲示物を見ながらなつかしそうに思い出話をしておられました。初めて見る今須小中学校はこじんまりとしていますが、立派な建物で小中学校あわせて80名ほど通っておられたそうです。


こちらが校長室。背景の写真は今須杉の林。

優勝カップなどがたくさん飾られていました。


かわいいフクロウの彫り物も・・


今年の卒業生さんの作品のようです。
組木でしょうか?

かつての木造校舎。
父がいたころの今須中学校はたしか木造だったと思います。

桶を作ったり、炭焼きはかつての今須の主要産業でした。

関ケ原との統合のいきさつは知りませんが、地域のみなさんにとっては思い出がいっぱい詰まった場所であったことだろうと思います。

父の写真もほかの方の写真と一緒に掲示されていました。約50年も昔の写真だからもう残ってないのかな。でも、せめて校長室ぐらいは最後に見て行こうと思い、部屋に行くと運よく、校長先生がいらっしゃって来訪のわけを話すと、なんと写真を探してくださったのです。そして、ありました! なんでも倉庫の中に昔の写真が入っていて、どうしたものかと思っていたそうで、頂きにいったことで喜んでくださったようで、私も嬉しかった。

     


まだ現役バリバリのころでした。
このあと、多良小学校に行って現役生活を終え、3年後に亡くなりました。

ブログの読者にも父を覚えていてくださる方もあるでしょうか?
頑固で短気な人間だったので、みなさまにもご迷惑をおかけした点もあるかと思います。
(^^;
私が12歳から16歳まで今須にいたようです。
「多良に」という話もあったようですが、子どもがいるからいやだと断ったとか言ってました。
この時の父は今の私よりも若いと思います。
髪の毛は薄いけど・・

今後の校舎の使い方は現在、地域で検討中だそうですが、個人的には中山道今須宿の歴史を後世に伝えられるような、また地域のみなさんが集える場所になるといいなと思いました。

さて、先日中日新聞にも掲載されていたように、令和6年には多良小学校も閉校になります。
とても、残念です。
もし、あと十年若かったら、あるいは学齢期の子どもがいたら考え方もちがってくるのかもしれませんが、この45年間にわたる上石津中学校になってからの年月を思うと、せめて小学校は地域に残せなかったのかなという思いでいっぱいです。

私は体が小さくてランドセルが重くて、よく学校からランドセルをひきずって帰って来たと母に言われました。また、帰りがけに道草をくって、当時大神神社の前にあった高田さんという文房具やさんに寄るのが楽しみでした。
当時はさこ屋もあったし、住吉屋の名物おばあさんもいたし、診療所も歯医者も全部宮にありました。木造の上石津町役場もありました。「鈴宮」という飲食店もありました。
宮から学校が消え、国道が現在の所にできて、すべてなくなりました。

学校がなくなることで、地域に与える影響ははかりしれないものがあります。
たんにセンチメンタルになって言ってるわけではありません。
これまでのように小学校区単位で行っていた行事やイベントも難しくなるでしょうし、保護者の方も送迎が大変になるでしょう。バスはもちろんありますが、今でも部活との兼ね合いなど、いろいろなところで弊害も起きているようです。
現在、上石津中学校が抱えている諸問題を解決できる方向に動いてほしいです。

そして、多良まちづくり協議会として、多良小学校を地域として今後どのような場所にしていきたいか、方向性を今から考えてほしいと思います。


2021年3月8日月曜日

ふるさと通信3月号 公開されました

こんばんは。

ふるさと通信3月号、公開されました。

HP 来て 見て 感じ多良

 みなさんの手元にお配りする通信は、白黒できれいに見ていただけません。

一度に500枚ほど印刷するため、費用がかかるのでカラーにすることは難しいです。

HPでぜひ、きれいな通信を見ていただきますよう、お願いいたします。

お気に入り登録していただけば、いつでも見ていただくことは可能です。

多良地区広報一同、いつも心を込めて記事を書き、写真を撮っています。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


現在、テレビ東京でもう一つのエールを放映中。

江口夜詩さんも登場します。