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2019年7月29日月曜日

新 地域おこし協力隊さん、ご紹介!

おはようございます。

先月、地域政策課に新しく地域おこし協力隊として着任された女性を、8月の多良ふるさと通信でご紹介します。

前任の方が辞められてせっかく軌道に乗っていた空き家紹介もとん挫し、どうなるのかと心配しておりましたが、とても素晴らしい方が来てくださって本当によかったです。


詳細は通信をお楽しみに♪
笑顔のすてきな才媛です。

2019年7月25日木曜日

盆踊りにはみんなでダンシング・ヒーローを踊ろう!

こんばんは。

ようやく梅雨もあけるようですね。
雨続きでさわやかな夏空がとても恋しいです。

現在、多羅城Tシャツの見本等は地域事務所にあります。
ぜひ、ご覧いただき、この機会にお求めになってはいかがでしょうか?
詳細は地域事務所の市民福祉課 多良地区担当までお尋ねください。

さて、今年も盆踊りまであと1カ月をきりました。
今月30日(火)と来月6日(火)には盆踊りの練習がメインセンターで行われます。
例年ですと、体育推進員の女性には練習のご案内がいくはずですが、ぜひ、それ以外の方もお越しください。
今年は新しく「ダンシング・ヒーロー」が曲目に加わりました。
ぜひ、みんなで楽しく踊りましょう!!

また、11月3日(日)には、かみいしづ緑の村公園で「かみいしづ里山マルシェ」が開催。現在、出店者さん募集中です。
FBページ「かみいしづ里山マルシェ」を御覧ください。


2019年7月20日土曜日

多羅城Tシャツ、もんでこで37枚注文ありがとうございました!

皆さん、こんばんは。

本日、もんでこ上石津に多良ブース、出店。

多羅城Tシャツ(ポロシャツもあわせて)37着のご注文がありました。

ありがとうございます!!!

中にはご夫婦そろって購入してくださった方もありました。

多羅城Tシャツ(ポロシャツ)のご注文は引き続き、月末までお受けします。

来週以降、型番とサイズ(S・M・L)、生地(ドライor綿)、Tシャツタイプかポロシャツタイプかをお書き添えのうえ、地域事務所の多良地区担当までご連絡ください。

Tシャツ2000円
ポロシャツ2500円です。
遠方の方は別途送料をいただきます。


034(型番)








実物見本です。
来週以降は地域事務所にあります。
これはMサイズです。






2019年7月17日水曜日

多羅城Tシャツつくりませんか? 

こんばんは。
今日は蒸し暑い日でしたね。

さて、20日は恒例の「もんでこ上石津」です。
お天気が晴れてくれるといいですね。
今年の多良の盆踊りでは「ダンシング ヒーロー」を踊ります。
もんでこでも踊るそうですので、みなさん、来ませんか?

ところでっ!
先日の山城発見を記念し、多良歴史プロジェクトでは有志で多羅城Tシャツをつくろうじゃないかということになりました。

これは見本データです。

もんでこには多良ブースが出ます。
その際に見本を見て頂くことができます。
色はほかにも選べますし、Tシャツとポロシャツタイプを選んでいただくこともできます。
多良地区以外の方も注文していただくことができますよ。
これまでになかった上石津のお土産としていかがでしょうか?

多羅城の文字は祢宜上の松本伸夫さんに書いて頂きました。

FBで紹介したら、すでに注文がっ!!!

ぜひ、20日は多良ブースにお越しくださいね。

お待ちしておりますっ!!!



信長の城 安土城跡遠望

こんばんは。
先日、多良に中世の古城跡が見つかって以来、急にお城に興味がわいてきました。

今日は仕事で東近江に行き、その後所要のため、近江八幡に行ったのですが、途中、安土城跡を通りかかりました。
東近江から近江八幡に行く近道なんですね。


立ち寄ったわけではないので、遠目からですけど、山すそにはいくつもの石垣の跡が見られました。
これが、ほぼ全山に広がっていたと考えると、やはりすごいです。
安土城。

ご存知の方もあると思いますが、そばに安土のセミナリヨなどがあります。

安土城についてのとっても詳しい解説があるサイトさま

ぜひ、ご覧になってくださいませ。

石垣だけのお城も想像力をかきたてられて、なかなか良いものです。
ちなみに私は西髙木家陣屋の背面から見た石垣を見上げる景観がけっこう好きです。

安土築城以降、日本の城は石垣の上に造られるようになりました。
安土城は地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートルあったと言われます。
城ができたとき、信長は身分を問わず、人々を城の中に招き入れ、自由に見物させました。
当時の琵琶湖は城のすぐ下まで来ていたようです。

はるかな高みの上で、孤高の王者は何を夢見ていたのでしょうか。

信長の死とともに、安土城は何者かによって放火され、豪奢な天守は消失しました。

ハイカラな信長のことですから、宣教師たちから聞いたヨーロッパの城をイメージしたのかもしれませんね。

安土城跡は石段などが整備され、見学できます。

上石津から下道で約1時間半ほど。
あなたも訪れてみられてはいかがでしょうか?


2019年7月13日土曜日

日本昭和音楽村にレストラン「華ひびき」オープン!

こんばんは。
すでに新聞でも紹介されているのでご存じかと思いますが、公募していた日本昭和音楽村のレストラン、オーナーが決まり、明日、11時オープンです。
その名もレストラン「華ひびき」。
ほんとに素敵な響きですね♪

オーナーシェフは四日市の都ホテルの日本料理店のオーナーを務められていた方。
記事はこちらを
岐阜新聞
中日新聞
そのほか、いろいろなところで紹介されています。

友達が上石津に遊びに来ても、ランチにいけるところがまた一つ増えました。
楽しみ♪ 楽しみ♪

2019年7月12日金曜日

多良文化祭ポスター 今年は歴史仕様!

こんばんは。

早くも第3回を迎える文化祭ですが、今年のポスターができました。


真ん中の光成キャラクターは大垣市の観光協会様より使用の許可を頂きました。

秋ごろから出展、参加の募集が始まります。

今年も皆様の力作を楽しみに!
写真コンテスト(テーマは多良の歴史的景観)も同時開催です。

2019年7月8日月曜日

多良地区HPにご注目❣ 今年は盆踊りでダンシングヒーローを踊ります

こんばんは。
5日の定例会を過ぎ、皆さんのところにはいくつかの配布物が届いているかと思います。
これらの配布物の内容は、多良地区HPにアップしてあります。
ぜひ、このQRコードを保存してください。
多良のHPにすぐにアクセスしていただけます。

さて、今年は盆踊りでダンシングヒーローを踊ります。
練習日は7月30日と8月6日です。
その前にもんでこでも踊ると思います。
ぜひ、練習に来てね!



うわはらくんが中日新聞で紹介されました‼️

昨日の中日新聞で📰上原(うわはら)地区のマスコットキャラクター上原くんと製作者の伊藤さん、上原地区の取り組みが紹介されました。


2019年7月7日日曜日

7月7日 岐阜新聞掲載 光秀の歩き方

こんばんは。
今日は七夕でしたね。
さて、どんな願い事をされたのでしょうか。

今日の岐阜新聞に「光秀の歩き方」と題して多羅城跡の記事が掲載されました。
書かれた山本記者が先だって鈴木さんに取材されたものです。
私は岐阜新聞とってないので、多良歴史プロジェクトのメンバーでもある馬瀬の日比さんからご提供頂きました。
日比さん、ありがとうございます。


とても素敵に多良を紹介して頂いております。


2019年7月6日土曜日

多良に眠る中世の古城が目を覚ます 中井均先生による、山城跡調査報告会 開催

今日は上石津地域事務所の2Fで、2月に滋賀県立大学の中井均先生によって調査された多良地区の馬瀬と羽ヶ原にまたがる山城跡の調査報告会が開催されました。

多良でお城というと、今はもっぱら明智光秀が生まれたとされる多羅城なんですが、先生が初めて多羅城の名前を聞かれたのは20年以上前の1996年だといいます。
この時、上原の地域事務所裏にある城山を調査されましたが、残念ながらこの時は何も発見できなかったそうです。
実は私、この話を今は亡き郷土史家の辻下栄一さんから聞いたことがあります。
ただ調査されたのが中井先生とは知りませんでした。

その後、先生も多羅城のことは忘れておられたのですが、大垣市の教育委員会におられる職員の方からあらためて依頼があり、再び多良に来られました。

2月に調査されたのは次の三か所。
・城ヶ平(馬瀬・宮)
・城屋敷(上多良 ※島津豊久自刃の地とされる白拍子谷のすぐそば)
・時の城山(時地区 下山)
このうち、城屋敷と時の城山では城郭跡は発見されませんでした。

先生が言われるには、城山という地名のところにはかつて城があった可能性があるということでした。ただし、城山(じょうやま)=上山の可能性もあるとのこと。城屋敷はだれかの屋敷跡かもしれないが、戦国時代ではなく、近世(江戸以降)のものではないかということでした。

(先生のメモより)
城ヶ平の遺構については「多良めぐりききあるき」(山口一易著)の中で「・城山 城か砦があった跡らしい」と記されており、簡単な見取り図も掲載されていた。今回はそれを立証することができた。

城跡は中谷川と北側の谷川に挟まれた東西に伸びる段丘の東端部に立地している。方形単郭の構造で、南北約70m、東西約65mを測る。曲輪の周囲には分厚い土塁の基底部が南辺を除いて残されている。
尾根が続く西方には遮断する堀切(ほりきり)が設けられていたと考えられるが、近年の畑開発に伴い、埋められてしまっている。北端にかろうじてその痕跡が認められる。北面は急斜面のとなり、自然の切岸(きりぎし)としている。東面は中腹に横堀を巡らし、中央部に虎口(こぐち)を構える。南面は中腹に横堀をめぐらせている。
東辺中央に構えられた虎口は山麓より斜めに登る城道もよく残されている。方形に窪んだ虎口は桝形であったことを示している。また、虎口南側には方形の土壇があり、櫓台であったと見られる。
曲輪内には井戸らしき窪地が4か所認められるが、これらは城跡に伴うものか、近世以後の畑地に伴うものかは不明である。
「上石津地誌地名考多良地区」によると、「この地(城が平の高くなった部分)を城山(しろやま)といい、石積みの跡らしきものや古井戸があり、西髙木家の屋敷はこの城山のヒノキで建築された」と記されている。
「多良根源記」には「太賀陣内仁蔵(大垣藩がこの地を支配していた時の役人)が、馬瀬村城ヶ平に住んでいた」と記されている。
「多良めぐりききあるき」には「城山 城か砦があったらしい」「城平―城山ー砦のあと、大正3年の耕地整理のとき、馬屋の柱や刀が発された」

先生が書かれた城跡の縄張り図(見取り図)です。

また、先生からは「城とはどんなものか」というお話もありました。
一般的に私たちはお城というと、壮大な天守閣を想像しますが、戦国時代には天守閣などは存在しません。
また、石垣が見られることもまれだそうです。

城の概念が変わったのは、天正4年に織田信長が安土城を建てた時。
これによって、城は戦うためのものから権力のシンボル、世の中に自分の力を知らしめるためのものへと変化したのです。

堀切や切岸、虎口といった典型的な戦国時代の山城の遺構を残す城ヶ平の城跡は、これ以前のものということになります。おそらく、掘立小屋のようなものが平らなところにいくつか建っていたのではないかということでした。

先生によれば
築城年代・・・戦国時代の後半と考えられるが、詳細な築城年代は不明。
築城主体・・不明
城主名が伝わっていないことから、いわゆる陣城(戦のために緊急的につくられた城)の可能性もある。
明智光秀との関係は慎重に扱うべき。多羅城との関係も不明。
とのことでした。

しかし、全国に3万~4万存在する貴重な城跡の一つであること。
おおいに地域としてPRし、保存に努めることで街づくりの要になりうるのではないかとのことでした。

先生の調査のおかげで、多良に眠る中世の古城が目を覚ましつつあります。


このあと、多良歴史プロジェクトメンバーによる、看板製作、設置、ノベルティとして缶バッジ制作、Tシャツ制作、多良歴史マップの制作について話し合いが行われました。






2019年7月5日金曜日

7月の多良の星空


こんばんは。
今日は2月14日に行われた城ヶ平の調査報告会が行われました。
結果はのちほど、ご報告します。

さて、今月も多良星空クラブの吉田さんからメールが届きました。
今月の16日には多良小学校で吉田さんのお話が聞けますよ。


こんばんは。多良星空クラブの吉田です。
梅雨のまっただ中です。なかなか星は見られませんが、たまに晴れれば空を見上げたいと思います。
今月16日には、多良小学校で夜7時から小学生の作文発表があり、その後で天文台を開き、星空観察会を行います
毎年小学生の作文に感心し、大人も負けちゃいけないなとパワーをいただいております。
皆さんも良かったら作文発表と星空観察にお越しください。
予約も入場料も必要ありません!

7月の星空です。
3日 南米のチリやアルゼンチンでは皆既日食が起こります。ということは新月です。
4日 夕方の西の地平線近くで細い月と火星が接近して見えます。
7日 七夕
9日 上弦の月(夕方南の空に見える半月)
13日 夕方から深夜にかけて月と木星が接近して見えます。
16日 夕方から深夜にかけて月と土星が接近して見えます。
17日 西日本で部分月食が起こります。ということは満月です。
25日 下弦の月(明け方南の空に見える半月)

惑星の様子です
木星 ほぼ一晩中見えています。観測に特に適した時期になっています。
土星 木星に遅れること約2時間。こちらも良いシーズンに入ってきました。 

だれかはわからないけれど、戦国時代も同じ星空を見ていたのだと思うと、なんだかすごいなあと思います。

皆さんも星空を見ながら、はるか歴史のかなたに思いをはせてみませんか?

2019年7月1日月曜日

多良地区球技大会

こんばんは。
かなり遅くなりましたが、6月16日、多良地区の球技大会が開催され、14チーム225名が参加。優勝は馬瀬チーム、準優勝は僅差で樫原チーム、3位は西山チームでした。

関係者の皆様、大変お疲れさまでした。
7月号の通信でもご紹介させていただきます。