わたしは歴史が好きです。
特に古代史は大好き。
はるか昔に思いをはせ、その時代の人々がどんなふうに暮らし、どんなふうに生きていたかを考えることはとてもロマンがあります。
今日は多良公民館の歴史講座第2回め。
「牧田古墳群とその概要」でした。
西濃は古墳の大変多いエリア。特に有名なのは池田山山麓に広がる願成寺古墳群かと思いますが、実は、垂井の南宮山から養老町の象鼻山、そしてその西側にあたる牧田の名神高速道路がとおっている辺りは古墳の宝庫。
特に近年有名なのは、象鼻山の山頂にある1号墳。前方後方墳で3Cごろのものと推定され、邪馬台国と戦った狗那国の王の墓ではないかと言われているようですが、まだ確かなことはわかりません。いずれにしても、濃尾平野を治める王の墓であったのでしょう。
さて、牧田にあるいくつかの古墳のうちでもっとも有名なのは二又古墳の第1号墳。
これは大変珍しい装飾古墳で中が朱色に塗られていたそうです。同様の赤彩古墳が本巣市にも現存していますが、非常に珍しいものです。昔、私も父親に写真で見せてもらいました。
さらにここからは多くの副葬品も出土したそうで、写真は装飾須恵器。ろくろを使い、窯で焼いた須恵器は土師器とちがってかたく、日用雑器としてではなく、神への供物をのせるものなどに使われました。二又1号墳から発見された須恵器は畿内で作られたものだそうです。
象鼻山古墳に埋葬された人物とのかかわりはわかりませんが、地理的にも近いですし、もしかすると同じ一族か子孫だったのかななんて考えると、想像がふくらみます。
ここから出土した剣や副葬品などは資料館にあります。
時・多良は縄文土器などが見つかっているものの古墳の発見は聞いたことがありません。逆に牧田は古墳はあるけれど、縄文土器などは見つかっていないそうです。
この疑問について、館長は時・多良に住み着いた人々が、時代が下るとともに牧田方面に移動したのではないかとおっしゃっておられました。
ただ、古墳の中にはそれと知らずに神社の石垣の改修に使われたり、壊されて農地にされてしまったものもあるようで・・(^o^;)
いずれにしてもはるかな昔に思いを馳せるのは楽しいこと。
今では名神高速道路の下になってしまった二又1号墳ですが、この地方に有力な豪族がいたことの証でもあり、ほかの所もいろいろ併せて考えると、とっても楽しいかも・・
象鼻山、一度登ってみたいです。
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