台風被害があちこちで出ているようですね。
午後はそれまでの大雨がウソのように晴れましたが、今また大量の雨粒が降ってきました。
午前中は大垣に用事で出かけ、帰りにお初の天一。
これは屋台味という、こってりとあっさりの中間でしたが、なかなかおいしかったです。
細麺も選べたので、そっちにすればよかったかな?
さて、天一から出てきたら、雨がやみ、ところどころ青空が見え始めていました。
これはひょっとすると・・と思ったら、
ほんとに歴史同好会の間だけ、まったく降りませんでした。
晴れ女の面目躍如・・かな?
今日は松之木に東高木家の菩提寺でもある本堂寺さんにうかがい、
貴重なお話を伺ってきました。
まずは裏手にある東高木家の墓地へ。
実はわたしも長いこと多良に住んでますが、ここの墓地は初めてでした。
案内してくださったのは、本堂寺のおくさま。
若くして亡くなった住職さんは私の恩師でもあります。
奥さまと話をされているのは会長の鈴木利通さん
東高木家の累代の墓がずらりと並びます。
初代の墓は一番奥にある自然石を墓石としたもの
墓石に彫られた文字も風化して読むのがたいへん
判読困難に近いものも・・
東高木家5代目の内膳は、宝暦治水の際に三の手の監督でした。
内膳の家来の桝屋伊兵衛が人柱として、おおぐれ川に身を投げたと言われています。
これは高木家とはまったく関係ありませんが、
鉄道ファンは必見?!
墓地にはこんなものも建っています。
このおじいちゃん、三宅正一さん(上原)は東高木家家臣の末裔に連なる1人
上原の三宅家は東高木家の家臣であったとのことでした。
多良には高木三家の家臣の家が何軒か残っています。
会長鈴木さんはじめ、小寺家・土屋家・大嶽家・西脇家など
家臣団再結成の日は来るのでしょうかw
この絵は江戸時代の高木家陣屋を表しています。
ひときわ高い場所に本家である西高木家があり、一段下がった伊勢街道沿いに北と東の屋敷があったのですね。
ちなみに、陣屋というのは城持ち大名でない旗本などの屋敷をこう呼ぶそうで、高木家の陣屋は城かと思うほど広いと驚かれたそうです。
これは火災で焼失した観音寺の開山
ご本尊とご開山の像だけは運び出すことができたそうです。
りっぱなお像です。
これは本堂寺さん本堂のふすま絵
江戸後期に活躍した湖北出身の画人・中川雲屏(うんぺい)の作
雲屏はなかなか有名な画家で、長浜歴史博物館では
その作品展も行われるほど
なにかご縁があったのかわかりませんが、
多良の高木家に出入りして絵や行儀作法などを教えたとか・・
これはソテツを描いたものです
台風のせいもあって出席者は少なかったですが、なかなかおもしろい勉強会でした。
次回の「歴史同好会」は1月14日(木)13時30分~ です。
いよいよ西高木家の墓石群とのんぼにあるお墓を見に行きます。
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