さて、今日は多良公民館の歴史講座で一之瀬の天喜寺さんに御世話になりました。
天喜寺さんは1057(天喜5)年に創建されたと伝えられる古刹。
お寺の寺号はこの時の年号をもとにつけられたとされています。
最初は永源寺派でしたが、1366年、足利幕府の初代尊氏の二男の庇護のもと、中興の祖とされる雙桂定巖禅師により、臨済宗妙心寺派となりました。
高台にある、まるで城郭のような立派なお寺で、春には桜、秋にはもみじの紅葉が見事です。
1時半からご住職の若山先生に天喜寺と円空仏についてのお話を伺いました。
戦争中に供出された梵鐘に
寺の歴史が書かれてあったとのこと。
梵鐘が供出されたときは
一之瀬の村人みんなで出征兵士を送り出すようにして
見送りをしたそうです。
地元の信仰の深さが計り知れますね。
一時期衰退した天喜寺ですが、復活を遂げ、
最盛期には周囲に五つの塔頭寺院があったとか。
今もその名残は一之瀬の地名に残っているようです。
途中休憩があり、
ご本堂の中や中庭を拝見。
まさに静寂に満ちた信仰の空間。
さあ、そしていよいよ円空仏にお目見え。
ふだんは本堂の奥深く、
お厨子の中に眠っておられます。
ほほえみを浮かべたように見える
円空スマイル。
角度によって、ちがった表情に見えるのが
実に不思議。
もともとこの円空仏は天喜寺にあったものではなく、
牧田の萩原のお堂にあったそうです。
しかし、そのお堂が壊れて天喜寺で預かることとなり、
最初は弘法大師作の薬師如来とされ、
ご住職も円空仏とは知らなかったそうです。
ところが昭和40年代に円空ブームが起こり、県の調査で
円空仏であるとわかったそうです。
円空は江戸時代の初期に岐阜県の羽島で生まれたとされます。
長良川の洪水で仏門に帰依し、後に全国を行脚。
仏像を彫るようになります。
私は飛騨の千光寺にある何体もの円空仏を見ましたが、
その彫刻は天喜寺の円空仏とは異なる
とても荒々しいタッチのものでした。
「隠された十字架」や「水底の歌」などで知られる哲学者・梅原猛氏が訪れたこ
ともあるそう。
鋭くて簡素
いと美しきノミのあと
梅原猛
若山先生のお話はとてもわかりやすくて、興味深いお話でした。
中でも、円空は貧しい人たちから布施された木端を大切にして、仏を彫った。
人々が身近に置いて仏を拝めるように・・
円空は仏師ではなく、僧侶であったということ。
心に残りました。
大垣市内で円空仏のあるお寺は
天喜寺のほかには一寺しかないそうです。
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