日本の原風景 レンゲ田

日本の原風景 レンゲ田

2014年8月3日日曜日

ふくしまキッズin唯願寺~福島へ

さて、ふくしまキッズの岐阜冒険旅行最終日は、上石津町時地区にある唯願寺さんへ。

唯願寺さんは今を去ること800年あまり前、鎮守府将軍藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の曾孫である浄金(じょうごん)を開祖とし、天台宗の道場としてこの地に根を下ろしました。
7代目・明貞の時、蓮如上人の法子となり、浄土真宗に改宗。
有名なシブナシガヤ伝説の主人公は2代目の明慶(みょうけい)、8代目の明慶(みょうきょう)は本願寺直参として10代証如、11代顕如上人に仕え、伊勢長島の戦いで門徒27名とともに討死しました。まさに、法を守るために時の権力と闘うお坊さんであったわけです。
関ケ原合戦の後、家康上洛の際、教如上人より「大橋」の名字と「大橋唯願寺」という寺号を拝受しています。

さて、唯願寺さんでは時公民館長の伊藤芳さんからお話を聞き、そのあと、本堂の縁をみんなでからぶきしました。
お昼ご飯は大橋にほえご住職はじめご門徒の皆さんにちらし寿司とから揚げを作っていただきました。
伊藤公民館長から説明を受ける子どもたち


唯願寺さんの広い縁をからぶき


                 みんなで記念撮影
                 本堂の前に寝そべって、仏様、ごめんなさい。

                 唯願寺様、子どもたちをあたたかく迎えていただき、本当にありがとう                 ございました。

            さて、その後は岐阜羽島まで行き、主人と私とで子どもたちを福島まで親さん            の元に無事送り届けました。
           今年で3年目という子どもたちも多く、来年もまた元気な顔を見せてほしいです。
          お互い、少し慣れたころにさよならするのは、ちょっと寂しいですね。
          
          食事の世話や子どもたちの遊び相手になってくださったみなさん、そしてホストファ          ミリーの皆さん、支えて下さった多くの方々にあらためまして、御礼申し上げます。

         
          せっかくの機会ですので、その夜は郡山に泊まり、翌日は会津若松へ。私にとっ           ては岩手に次いで、人生二度目の東北です。

          会津若松の基礎を作ったのは、もともと近江の戦国大名であった蒲生氏郷
          40歳という若さで亡くなってしまいましたが、黒川という地名を若松に改称。また京         の都などから職人などを呼び寄せ、会津若松の商工業発展の基礎を作り上げまし         た。

         そして、もう一人、岐阜県ととても関わりの深いのは、幕末、会津藩の藩主であった         松平容保(まつだいら かたもり)です。
         蒲生氏亡き後、徳川秀忠の異母弟・保科正之が会津藩主となり、後に保科氏は松         平姓をたまわって、幕末まで続きます。

         松平容保は現在の海津市を治めていた高須藩の出身。俗にいう高須四兄弟の一          人です。高須藩は尾張徳川家の支藩であり、尾張徳川家の子どもが絶えた時はこ         れを相続するなど、重要な役割を担っていました。

         初めて見た鶴ヶ城天守閣は青空を背にすっくと建っていました。

         天守閣は昭和40年に復元されたものですが、石垣は往時をそのままに、たくさんの        松の木などが植えられて、とても美しく整備されています。
        最上階から眺める会津若松は四方を山に囲まれた肥沃な平野。戊辰戦争の際、白         虎隊が自刃した飯盛山も城からさほど遠くない所にあります。

         
       
               鶴ヶ城の堀 睡蓮が綺麗に咲いていました。

 最上階から見た城の周辺は緑がいっぱい


 戊辰戦争の際、政府軍との間で激しい戦いが繰り広げられた鶴ヶ城こと会津若松城

1F部分には往時をしのばせる塩蔵が残っている
城は明治7年に石垣をのこして解体された
現在の天守閣は復元されたもの
白虎隊の肖像画も掲げられている


帰りは猪苗代湖畔に立ち寄りました。



キャンパーたちでいっぱいの猪苗代湖畔


遠くに見えるのが会津磐梯山
猪苗代湖ビーチ

今回は行きませんでしたが、付近には「野口英世記念館」もあります。


           帰りの車内から見た富士山

          郡山はとても大きなまちでした。
         会津若松ともども、内陸にあるため、津波の直接的な被害は受けておらず、目に見         える範囲で災害の爪痕を見て取る事が出来ませんでした。
        
         子どもたちの笑顔が、人々の笑顔が私たちを勇気づけてくれました。



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