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2013年10月13日日曜日

亡き母のふるさと恋し・・

こんばんは。
今日はとても良いお天気でしたね。
午後からちょっと気になっていたいなべ市阿下喜で行われたクラフト市をのぞいてきました。

阿下喜はいなべ市、旧員弁郡の中心地で、あげきと読みます。
どうしてこんな名前になったのか、そのいわれは知らないですが、私にとってはとても親しみのある場所です。なぜなら、その昔、母の実家に行く途中、必ず立ち寄った町だから。

母の実家はいなべ市北勢町の川原という所です。昔は十社村(とやしろむら)と呼んだとか。十個もお宮さんがあったんですね。

当時、私の父は車の免許をもっていなかったので、下多良からバスで時まで行き、時からさらに桑名行のバスに乗り換えて、阿下喜で降り、ここから川原行きのバスに乗って終点まで行くというコースでした。時では丸一さんに必ず立ち寄りました。
ほんとにのんびりした半日がかりのコースでした。

阿下喜は坂の町です。
商店街が坂道に沿って上から下まで続いており、なかなか活気がありました。
川原(母はかはらと呼んでいました)から阿下喜にでて商売している方も多くあったとみえ、母は実家にいくたびに、たまにその一つに立ち寄っていたような気がします。今はもう、どこがどこだか覚えがなくて、今日も町をぶらぶらしてたら、十社屋という店を見つけました。名前からして川原出の方が建てられたお店かなと思いました。

でも、どこの商店街もそうですが、郊外に大手スーパーなどができた影響で阿下喜商店街も往年の活気は失われ、閉店している店舗も少なくありません。今度のマルシェはたぶんそんな阿下喜を盛り上げるためのイベントの一つなのでしょう。会場にいく途中、北勢線を模した電車があったり、ところどころでまちかど博物館を発見。車で行くならとても気づかないようなものをいくつか見つけることができて、新鮮でした。

さて、そんなマルシェで川原のお米を販売している方々に出会いました。懐かしくてつい声をかけると、年配の女性の方が母のことを覚えていて下さったのです。川原では以前、耕作放棄地の対策として棚田でお米を作っていたのですが、今はそれは途絶えてしまったようで、その周辺で栽培しておられるお米を売りに来ておられました。上石津もお米はおいしいですが、川原のお米もきっとおいしいだろうと思います。水の良い所のお米はおいしいのです。

帰りはいつものコースを通らず、久々に川原を越えて帰ることにしました。川原で一番大きなお宮さんのそばを通りかかると田んぼに一面のコスモス。あまりの美しさに車を停めて、写真を撮りました。

 
これは、亡き母からのプレゼントかな?
そういえば、母の誕生日は10月でした。
 
母の兄姉も全員亡くなり、実家にはもうだれもいません。
おまいりは従姉がやっているようですが・・
 
時代とともにいろいろなものが変化していきます。
母の実家のあたりの方言は三重弁とでもいったらいいのでしょうか。
関西弁にきわめて近く、そばで聞いているととても懐かしく
感じます。
 
ふるさとのなまり懐かし 停車場の人ごみの中に
そを聞きに行く             石川啄木
 
母の故郷は私にとっても第二のふるさとみたいなもの
 
ただ、残念ながら
距離は昔に比べればうんと近くなりましたが、縁は年々薄らいでいくばかりです。
 
この年になって母の故郷がなんとなく恋しくなるのは、
子どものころの思い出を懐かしがっているのでしょうね。


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