今日はポッカポカでしたね~。
ミモザの花も一気に開いた感じがします。
さて、現在広報部では多良地区のいろいろな年中行事や歴史遺産などを多良風土記としてまとめています。今月は奥の元禄獅子舞について自治会長さんはじめいろいろな方にお尋ねしています。
次回の多良通信で詳しくご紹介しますが、いろいろお聞きしていくと、ほんとうに奥が深いです。
元禄獅子舞は今から300年ほど前、高木家入郷以前に奥に居住していた阿部(安部?)右近なる人物がいたころから行われていたようなのですが、この人物がいったいいかなる人物で、なぜ奥にいたのかはまったくわかっていません。
もし、この説が正しいならば、300年ではなく、400年とするのが妥当でしょう。
ただ、関ヶ原の戦いが行われた1600年前後、多良の名持ち百姓の中に阿部右近の名前があることから、当時の多良に住んでいた有力者の一人であったことはまちがいないようです。
今から30年ほど前に、現在養老町に居住しておられる山口一易氏がまとめられた「多良めぐりきき歩き」によれば、阿部氏は奥と幾久里山を支配し、1604年に一之瀬に退去したということです。
その後、奥は西高木家の預かり百姓となり、ほかの地区の人よりも優遇されたようです。阿部氏から預かった民だからということなのでしょうが、そうなると阿部氏とはいったい何者であったのか・・ますます謎は深まります。
また元禄獅子舞は養老町の笠郷三屋から移したものであるといわれているようです。
高木家入郷以降はその庇護のもと、舞を行う際は必ず、鹿の絵が描かれた幕をはってその前でするのがしきたりなのだそうです。
このたいへん貴重な鹿幕は現存しており、通信でご紹介します。
また元禄獅子舞にしようされる貴重な獅子頭なども、奥の自治会長さんがたのご協力により、撮影させていただきました。
ありがとうございます!
12舞中11舞が現存する「元禄獅子舞」。
全幕とはいかないまでも、ぜひ、大垣市の重要文化財でもあるその舞を、見たいものですね。
どこかユーモラスなお獅子の顔
眉毛がふとい!
雌雄あるそうです。
鮮やかな手つきで太鼓をうつ三輪自治会長さん。
さすがの腕前です。
舞に使う御幣の数々。
神楽は木でできており、大変重いです。
練習の時は籠を持ってやるそう。
籠は軽いけど、獅子頭は重いので大変だそう。
フェルトのお洋服完成です。
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