日本の原風景 レンゲ田

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2014年4月1日火曜日

伝説の小領主 三輪三人衆

さる3月29日、「多良峡もみじの名所づくり実行委員会」会長の大嶽文夫さんがご逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
大嶽さんにはつい一月ほど前、「多良のまいたけブラザーズ」としてお話をうかがったばかり・・
たいへん急なことで本当に残念ですが、息子さんの喜久さんがおとうさまの御遺志を引き継いでいかれるとおっしゃっております。
私たちもできるだけ応援していきたいと思っております。

さて、それでは先日の上多良地区探訪の続き、今回は伝説の為政者「三輪三人衆」のお話です。
多良地区には三輪という苗字が大変多く、私もそれをあたりまえのように思っていましたが、そとに出てみると、三輪姓は決して多くはないのですね 。
その三輪姓のルーツはもしかすると、この三輪三人衆にあるのではないかと勝手に想像しております。

戦国時代末期、まだ関一政や高木家が入郷する以前、多良には三輪筑後・三輪佐渡・三輪豊前という小領主があり、その支配下に21名の名百姓がいて、合議制のもとに自治がおこなわれていたとされます。
政治向きのことは猿海道(上原)、神仏に関することは禰宜村(祢宜上?)の念仏堂に寄って協議をしていたそうです。

さて、この三輪三人衆は善政をしいていたものとみえ、多くの住民たちの支持を得ていましたが、時の権力者である織田信長に謀られて切腹させられたと伝えられています。

三輪三人衆が伝説の人物か否かはよくわかっていないようで、「上石津町史」には彼らのことはあまり記載されていません。しかし、三輪三人衆が住んでいたとされる上多良地区には彼らに関する言い伝えが残っていました。

当主が命を落としてからその子孫は井之内や樫原、前夫などに住み着いたとされ、今もその子孫と伝えられる家系が残っています。

これは三輪三人衆の本家の子孫とされる井之内の三輪家の家紋
五瓜に抱き茗荷


 
三輪家がお祀りする屋敷神
お稲荷さん
とても立派な屋敷神さんです


三輪家の子孫・三輪志津子さんと
井之内自治会長で志津子さんの甥にあたる
三輪雅務さん

三輪家の長屋門
べんがらのかすかに残るすばらしい門です
 
志津子さんのお話によれば、高木家が多良に入るまでは、先祖は東髙木家の屋敷の辺りに住んでいましたが、「もう武士はいやだ」と武士をやめて帰農。
郷士として井之内に住み着いたと言われているようです。
 
多良の歴史を紐解くうえで大変興味深いお話をありがとうございました。
三輪三人衆のこと、時間を見つけて自分でもいろいろ調べてみたいと思います。
 
ちなみにこの椎の木は町指定の天然記念物。
この向こうの敷地の屋敷には三輪佐太夫という郷士が住んでおり、愛犬に襲い掛かろうとした大蛇の退治をしたことで知られています。
この地蔵堂では今も毎年地蔵盆が行われています。

井之内・欠ノ脇の崇敬する日吉神社
天保12年に創建されました。
神社の入口は森になっており、ちょっとミステリアスな神社です。
 


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