上の地図は江戸時代、天保5年に制作された美濃の国の古地図の一部。
岐阜県歴史資料館蔵です。
上石津の部分だけをトリミングしてみました。
当時は上石津という名前はまだなく、地図上にあるように小さな村が点在していました。
地図にある石津郡が上石津と下石津に分裂したのは明治
11年。
明治22年には、小さな村が合併して、多良村が生まれました。
地図上にはなくても、これ以前から多良という呼び名が存在していたのかもしれません。
明治29年には上石津郡と多藝郡の一部が合併して養老郡になります。
牧田・一之瀬・多良・時が合併して、上石津村となったのは、昭和30年のことでした。
こういう昔の地図を見ていると、とても趣き深いものがあります。
村の名前も今の自治会とは少しばかり異なるものもありますね。
ちなみに私の住む上鍛冶屋は、むかしは鍛冶屋村だったそうです。
上野村と一緒になって上鍛冶屋になったのは、明治7年のことでした。
明日はこんなことを話しながらマップづくりができればと思います。
滝歩き名人の写真もすばらしいです。
一見の価値ありです。
午後7時半~ 地域事務所です。
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