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2017年4月19日水曜日

多良歴史同好会で下多良地区をめぐる

こんばんは。
花粉症、一進一退。
いつになったら、くしゃみが止まるのか・・憂鬱な日々です。

さて、今日は多良歴史同好会で下多良地区を案内していただきました。
案内役は三輪正典さん。
今日のためにとても丁寧な資料をつくっていただき、下多良に関わる歴史について熱く語っていただきました。
最初は先日もNHKで紹介された勝地峠。勝地番所跡と松尾芭蕉の句碑、旧番所があったとされる現上鍛冶屋地内、髙木家が多良に入郷した際、最初に休憩したとされる小寺本家のあった場所とその屋敷跡、おしゃごじ、八幡神社、髙木家の位牌があり、伊能忠敬が止まった念通寺。時間がなくて旧宿屋の後や津島神社、東山に行けなかったのは残念でしたが、盛りだくさんの中身の濃い時間でした。

勝地峠にて

勝地峠にあった番所跡

説明する正典さん

勝地峠の碑の横には伊勢街道の文字が見える

下多良と一之瀬の山争いの和解のしるしに立てられたという松尾芭蕉の句碑
芭蕉がここを通ったというのではありませんが、当時、一之瀬には桑原右麦を中心に
相当数の俳人がいて、その社中の名前が句碑の台座に刻まれています。

上鍛冶屋の旧番所があったとされる所を眺めながら説明




髙木家初代が多良に入る際、最初に休憩したとされる小寺本家のあった場所。
ここの社は吉備津彦神社。
なぜ、岡山ゆかりの神社がここにあるかは、
小寺家が戦国時代、岡山周辺に勢力のあった赤松氏に仕えていたからではないかと・・


旧小寺本家をほうふつとさせる石垣

髙木家入郷を伝える句碑


             近くで理髪店を営む杉本さんに、当時を思い出して
小寺本家の図面を描いていただきました。その正確な記憶力はすごいです!


              昔、伊勢街道が通っていたのではないかと思われる
            いわゆる赤道

           おしゃごじさま
 樹齢数百年とされるカヤの木
いろいろな伝説があるようです。

八幡神社

念通寺にて


髙木家の位牌と法名軸




次々に知らなかった地域の歴史が明らかにされて
とても興味深いひとときでした。

最近はドリフターズの影響もあってか、
若者が多良を訪れる機会も増えているそうです。
多良をもっと知っていただくためにも、
多良の歴史や文化についてきちんと語れる案内役の必要性を感じました。

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