大垣市の教育委員会から鈴木さんや渡辺さんにも来ていただき、許可を得て、いつも締め切られている西高木陣屋跡の門をあけていただき、屋敷の中の庭や外を見学しました。
西高木陣屋はもともと上屋敷と下屋敷に分かれており、この門はもともと下屋敷にあったものが移築されたのだそうです。
いただいた資料によれば、天保3年3月4日、類焼。
北高木家のところから火が出たそうで、この日、北高木の家は一家で潮干狩りに行かれていたそう。
この時代も、潮干狩りに行ったんですね。
その留守中のできごとだったそうです。
その後、建て直されたのですが、一部、江戸時代の建物も残っていることがわかりました。
下の地図は先日、滋賀に行った際、あるところで偶然見つけた江戸時代の西濃の地図。
撮影させていただいてきました。
これにも高木家の屋敷が描かれています。
左の方をご覧ください。
西高木陣屋の本玄関
西高木陣屋跡の庭は巨木が多い
亡き大嶽さんが植えて育てようとしたのは、西高木陣屋跡に生えているもみじの種から育った苗木
奥に見える建物は江戸時代のものだそう
西高木陣屋から眺める埋門
もともとは櫓が建っていたのではないかと推定されている。
大垣市教育委員会では2年間をかけて、いろいろな分野の専門家とともに、
今後西高木陣屋跡の修復について検討するということでした。
歴史同好会の鈴木会長も参加されるそうです。
陣屋見学の後、鈴木会長から上石津まちづくり協議会での歴史部会のお話があり、
祢宜上の大嶽武さんの家の前から下のかりう谷川に降りる道があって、
川に橋がかかっていたことがわかり、
伊勢街道があったことが証明されたとのことでした。
大垣市文化振興課の鈴木さん
歴史同好会も地元として、陣屋の保存等について意見を聞かせてほしいと
お話がありました。
ふだんは見せていただくことのできない
陣屋の門の中に入ることができ、
また文化振興課の職員さんのお話も聞くことができ、
メンバーもいっそう多良について
興味がわいてきたようです。
次回の歴史同好会は3月。
今度は山口先生が書かれた「多良聞き歩き」にもとづいて、
下多良地区を案内していただく予定です。
今回、新たな女性メンバーが3人入会されました。
あなたも歴史同好会に入って、
多良について
もっといろいろなことを知りたいと思いませんか?
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