ipadミニのバグがひどくて使えない状態になり、写真が手軽にとれずに困っています。
早いとこ修理に出さねば・・
さて、昨日は上石津地域事務所2Fの会議室で、上石津郷土資料館主催による「高木家文書連続講座 宝暦治水と高木家」が開催され、50名の方が参加されました。
なかには赤ちゃんを寝かしてまで参加された若い女性の姿もあり、会議室は満席でした。
講師は岐阜聖徳学園大学教育学部の秋山晶則先生でした。
町内よりも町外からの参加者が多かったようです。
多良出身の方のお姿も見受けられました。
秋山先生
パワーポイントを使っての盛りだくさんの講座
貴重な資料のコピーもたくさんいただき、お得感満載でした。
あいさつされる資料館館長の三輪寛さん
多良ガイドマップのご紹介もいただきました。
ありがとうございます♫
宝暦治水については、私は幼いころに亡き祖母から話を聞かされました。
祖母は現在の海津市平田町今尾の出身でした。
お千代保さんのご近所。
左義長で知られるまちで、治水の舞台となった場所です。
治水神社のある木曽三川の合流地点までも近く、
なんでも川にもぐった人が川底で薩摩の侍を見たとかなんとか
まことしやかに語ってくれました。
祖母は明治24年の生まれでしたから、
治水から100数十年経ったころ。
まだそんな伝説めいた話も残っていたのでしょうね。
平田町という町名も
薩摩側の総責任者であった平田靭負にちなんで名づけられたものであることは
みなさん、ご存知のことと思います。
その後、小学校の時だったかと思いますが、課題図書で
岐阜県を代表する児童文学者・岸武雄さんの
「千本松原」という本を読みました。
宝暦治水を舞台に治水工事で美濃にやってきた薩摩藩士たちとの交流を描いた物語です。
主人公の与吉少年は最後に洪水に飲まれて行方不明(おそらく死んだのでしょう)になってしまうのですが、のちにエピソードとして
与吉の最期については
かなり激論が闘わされたと、
これまた岸先生たちとともに
児童文学雑誌の「コボたち」をつくられた
赤座憲久先生から聞きました。
赤座先生もすでに鬼籍に入っておられます。
直木賞作家の杉本苑子さんの「孤愁の岸」は森茂久弥さんを主人公に舞台化されました。
まあとにかく、こんな具合でこれまで人間ドラマに焦点があてられることの多かった
宝暦治水ですが、今日のお話は視点が高木家ということもあり、
史実から見た宝暦治水
高木家が治水で果たした役割はどんなものであったか
という説明でした。
治水事業にあたっては高木家は水行奉行として大きな役割を果たしましたが、
同時に笠松の郡代もその任にあたっており、
幕府直轄の高木家と勘定奉行配下の郡代とでは
スタンスが異なるため、
高木家も苦慮していたようです。
実は平田靭負は自害したのではないというようなお話もちらっとされましたが、
時間がなくて、実際にどうであったかという具体的なことは聞けなかったため、
またいつか人物に焦点をあてたお話も聞きたいと思いました。
次回は3月だそうです。
また、大垣の広報などでご案内があると思いますので、
ぜひ、ご参加くださいね。
最後に郷土資料館の宣伝をば少し・・
資料館には上石津の歴史資料だけでなく、
自然に関する詳しい資料や標本などもあります。
とても中身の充実した資料館ですので、
ぜひ、足をお運びくださいね。
12月21日まで
「古文書にみる上石津での新田開発」という企画展
を開催しています。
休館日は火曜
入館料はわずか100円です。(高校生以下無料 団体割引あり)
くわしくは資料館にお尋ねください。
45‐3639
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