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2020年5月12日火曜日

所ジャパンで「多羅城」、登場!

おはようございます。

今日も良いお天気ですね。
朝からうぐいすのさえずりが聞こえます。
田んぼにも水がはられ、里山も初夏の装いになってきました。

幸いコロナもここ数日感染者ゼロの数字が続いています。
そろそろ緊急事態解除の動きもありますが、コロナが完全に消えたわけではありません。
油断してるとまた、増加する危険性が十分にあります。
くれぐれも注意して、慎重に行っていただきたいと思います。

とはいえ、いいかげん巣ごもりも飽きてきましたね。
それにマスク、暑いし・・
今日もワイドショーで言ってましたが、マスクをしていると熱中症の危険があります。
マスクをしてのランニングなんて絶対にやめたほうがいいと思います。
オフィスワークはそれでもいいけれど、当分は畑仕事や庭仕事のほうがいいですね。

私は「麒麟」のおかげでテレビを見る楽しみをおぼえました。
学生時代にテレビなしの生活をしてたおかげで40年近く、あまりテレビを見ない生活をしてきました。それで全然平気だったのですが、「麒麟」を見るにはテレビが必要です。

ところで昨日午後10時から放映された東海テレビの「所ジャパン」で、滋賀県多賀町佐目地区の光秀の出生に関する文書について紹介していましたが、その中でほんの一瞬ですが、多羅城の文字が映りました。
ごらんになった方、ありますでしょうか?

歴史学者として有名な磯田先生の解説がおもしろかったです。

前にも書きましたが、佐目と多良はとても近くで同じ鈴鹿山ろくにあります。
佐目地区には三代か四代前に明智一族がなんらかの理由で美濃から移り住み、光秀が生まれたとのこと。
では、その前はどこに住んでいたのか・・
なぜ、佐目に移住したのか・・
本能寺の変の四日後に光秀は多賀大社に対し、所領安堵の書状を送っているのです。
多賀大社には多良も縁が深く、今も多賀講というものが残っています。
多良のどこかに光秀直筆の書状が残っていれば、これはもう大発見ですが、高木家文書の膨大な資料の中にでも埋もれているのかも・・
淡い期待を抱いています。

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