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2016年2月27日土曜日

白拍子谷への案内板設置と記念講演のご案内

こんばんは。
パソコンのバッテリーが悲鳴をあげており、いつ電源が切れるかとひやひやしております(^^;)


今日は肌寒い日でしたが、上多良区では区長さんや副区長さんはじめ役員さん総出で、先日から取り組んでおられた白拍子谷への案内板が設置されました。

朝九時に上多良公民館前に集合し、まずは第1基めの案内板設置個所へ。
青空はたけ塾のすぐそばです。

そして南部公民館の横から堂木川沿いに白拍子谷の入口まで5基の案内板が設置されました。

そもそもは多良のガイドマップを作ってしばらくしてから「多良わくわくウォーキング」を行った際、白拍子谷に行くグループが一組もなくて、島津豊久が自刃したという言い伝えがあるにもかかわらず、あまりにも多良の人に知られていないことを嘆いて、ぜひ看板を!という話になったようです。

自分たちが住んでいる地域の良さを見直す意味でも、外の人に知ってもらう意味でも、行政を頼らず、地域に住む人たちの力で案内板を設置するのはとても画期的なこと。
これこそ、ほんとうのまちづくりへの第一歩ではないでしょうか?

この案内板を見ながら、ぜひ若い人や地域の子どもたちにも白拍子谷を訪れてほしいと思います。

この写真は案内板2基目。南部公民館の横です。
まず、穴を掘って杭を打ち込み、案内板を取り付け、足元がぐらぐらしないように石ころとセメントを流し込みます。そしてその上から土をかぶせ、できあがり。

文字もきれいで、とてもしっかりした案内板です。
しかもルビ(ふりがな)つき!





機材もすべて持ちより。
セメントをこねる手つきも慣れたもの。
大勢集まれば、なんでもできちゃう!


これ、どこかわかりますかね?


最後から二つ目の案内板。


この奥が白拍子谷。
石碑がひとつぽつんと立っています。
豊久はこの奥で自刃したそう。


案内板設置に行く道すがら、いろいろなお話を聞かせていただき、
とても面白かった。
「子どものころは川にいっぱい魚がおったが、今はおらんなあ」と区長さんがいっておられたのが
とても印象的でした。

案内板設置個所は以下のとおりです。


1は垣方面から国道365号の「上多良」信号を西へ。
青空はたけ塾のそばです。



最後に区長さんからとっても素敵なプレゼントをいただき、
感激しました。
花が咲いたらお目に掛けようと思います^^

さて、3月8日の記念講演は以下のとおりです。

最後には白拍子谷のひみつが明かされますよ。
また島津の侍が出立する際に置いて行ったという
薬研(やげん)も公開されます。
ぜひ、お楽しみに♪

入場は無料です。





2016年2月5日金曜日

多良のミステリーゾーン 白拍子谷と城屋敷

こんばんは。

今日は地元の方に案内していただき、上多良の堂木川沿いの白拍子谷と須城を徒歩と車で回って来ました。

今度の記念講演会のための下調べです。

白拍子谷への道


白拍子谷の手前 城屋敷への入口がお墓の後ろに見えます。
いまはヒルがいないので大丈夫(^_^;)


言い伝え通り、本当に屋敷があったのではないかと思われるほど広い場所
今は木が植えられていますが、
昔は田んぼだったそう

屋敷があったと思われるのは
遠い昔・・

いったいいつの時代にだれがこんな場所に住んでいたのか・・



ここが問題の白拍子谷

豊久はこの地で自刃したとも伝えられており、
まさに多良のミステリーゾーンの一つ・・

昔話や言い伝えは根拠のないうそだとおっしゃる方があります。
でも、私はそうは思いません。

今と違って、昔は文字を書ける人はそんなに多くはありませんでした。
そのかわりに口傳えで後世に語り継いできたこともあると考えられます。

それが最もよく表れているのは地名でしょう。

文化の証として、地元に残る地名をもっと大切にしたいですね。



2017年9月8日金曜日

多良歴史同好会 島津の退き口を歩く

こんばんは。
昨夜の雨降りがうそのような清々しい秋晴れの1日でしたね。

今年の上石津は島津一色ですね。
先日も上石津町づくり協議会の歴史部会が行われ、現在、島津の退き口を中心にしたマップを制作中です。

完成すれば大垣市と合併以来、初めての上石津を一本化したマップとなります。

そんなわけで、多良歴史同好会(会長:鈴木利通さん)も今日は上多良区の三輪重隆さんにガイドを御願いして、白拍子谷や瑠璃光寺さんをはじめとする島津豊久ゆかりの地を歩いてきました。
前にもお伝えしたとおり、白拍子谷へのルートには上多良区の方々により、道案内の看板が取り付けられております。

上多良公民館の前で挨拶する鈴木会長

多良歴史同好会、だんだん人数が増えて大所帯になってきました


今日ガイドをしていただいた三輪重隆さん

白拍子谷で説明を受ける
ここに白拍子谷の石碑があるが、豊久がここで自刃をしたわけではないそう
白拍子谷はとても広く、ここはまだ入口付近


歩いていても気持ちの良い日でした

上多良の福存寺さんにて
東本願寺の祖・教如上人が通ったとの伝説がある

豊久を荼毘に付したとされる、当時の上多良の有力者で
名主の三輪内助入道一斎の墓の前で



瑠璃光寺さんにある内助入道の位牌
隣りには豊久の位牌もある

さあ、あなたも島津の退き口を歩いてみませんか?
多良にはまだまだ知られざる興味深い場所がいっぱいですよ。



2016年1月27日水曜日

3月8日(火)、歴女の聖地「白拍子谷のヒ・ミ・ツ」―関ケ原合戦と上石津―講演会決定!

こんにちは!

緊急速報です。

3月8日(火)午後7時30分~、上多良公民館での講演会が決定しました。

演題は
白拍子谷のヒミツ
―関ケ原合戦と上石津―

講師は関ヶ原で歴史カフェを営むITO RIEさんです。

今日、上多良区の副区長の三輪哲也さん、上多良区の公民館長で広報部メンバーの三輪重隆さんとともにうかがい、打ち合わせをしてまいりました。

重隆さんにフライヤーを作っていただいたら、またここでご紹介します。

基本的には多良地区の方が対象ですが、多良地区以外の方で多良や関ケ原合戦に興味のある方は歓迎です。

昨年多良のガイドマップができ、上多良区ではそれを受けて、白拍子谷の案内板を作成。
その記念講演となります。
白拍子谷は島津関連の言い伝えが残る場所。
特に島津豊久ファンの女性にとっては聖地の一つかもしれません。

どうぞ、お楽しみに♪

2016年3月1日火曜日

雪の白拍子谷と三輪内助入道のお墓

こんばんは。
調子が悪かったマウスを交換したら、さくさく動くようになり、いろいろやる気が出てきました。
パソコン使っていると、なんでもサクサク動くのが当たり前。
それがちょっと動きが悪いだけで、とてもストレスがたまります。
う~ん、良いのか、悪いのか・・

さて、今日は思いもかけず、雪の朝になりましたね。
こんな小さなつららが軒先にできてました。


今日は8日の上多良区の講演会にむけて講師の伊藤さんをしげちゃん、てっちゃんに白拍子谷にご案内しました。

まっしろな雪におおわれた白拍子谷。

なかなかの風情でした。

このあと、豊久の遺骸をほうむったという三輪内助入道のお墓へ。
入道のお墓は樫原地区にあります。
樫原の公民館、板壁のちょっとレトロでユニークな建物ですが、実は昔、ここに瑠璃光寺の前身である薬師堂が建っていたそうで、もともと豊久のお墓はここにあったのだとか・・

内助入道は当時の多良の有力者の一人で、
彼でなければ西軍の将であり、東軍に追われる身であった
豊久を葬ることはできなかったと思われます。

左端の自然石が内助入道のお墓だそうです。





2016年3月9日水曜日

白拍子谷のヒミツ 歴史講演会、上多良区で開催


さて、続いて、昨晩、上多良公民館で行われた歴史講演会のもようをお送りします。

講師の伊藤先生、6時に現地入りされ、スタッフと打ち合わせ。

上多良区の役員さん、誘導灯で来場者を誘導してくださいました。
車の台数も相当多かったと思いますが、おかげさまで何事もなく、駐車していただけました。

7時半近くなるにしたがって、続々と。
旧大垣市内や垂井町からの参加者もあり、約80名の方々が来場されました。

上多良区副区長の三輪哲也さん作の多良ガイドマップ拡大版と上多良区の地図。
とてもきれいで詳細にできており、わかりやすい地図です。
このほか、会場準備その他もすべて上多良区の役員さんによるもの。
ほんとうにありがとうございました。


島津軍が立ち去る時に置いて行ったという
茶釜と薬研

上石津では、初公開です。


立派なお華は、松岡貞夫さんがたてられたもの
花台にも注目


あいさつされる上多良区区長さんと司会の三輪哲也さん



三輪さんからはこの講演会をひらくに至った経緯といきさつ等について説明がありました。
講師のご紹介の後、伊藤先生、登場。

「天下分け目といわれる関ケ原の戦い」
実は豊臣の内輪もめだった!
関ヶ原合戦のおきた時代背景とそのいきさつについてとてもわかりやすく説明され、
遠路はるばる薩摩からやってきた島津軍がなぜ、西軍についたか。
→ほんとは東軍に味方するつもりできたのに、
伏見城を守る鳥居元忠から入城を拒否され、
西軍に味方することになったそう。

ちなみにこの時入城を拒否した鳥居元忠、実は家康の忠臣でした。
籠城の末、敵将に打ち取られることになりますが、
朱に染まった天井板は血天井と呼ばれ、京都の寺院などの天井板として今もその奮戦のすごさを
物語っています。

さらに話は続き、いよいよ上石津とのかかわりが明らかにされます。
敵中突破した島津軍は大きく二手に分かれ、一隊は養老山を越えて三重県方面から
上石津へ。
さらにもう一隊は勝路峠を越えて多良へ。


ここからはコメンテーターとして三輪重隆さんが登場。
伊藤先生とのやりとりの中で、じょじょに白拍子のヒミツが明らかに・・


日の丸をしょってたつ男、しげちゃん♫

56年間続いている鹿児島からの踏破隊のお話も登場。
こうしてみると、400年前から連綿と薩摩とのご縁は続いているのですね。

伊藤先生のお話、とてもわかりやすくてお話も上手だったと好評でした。
何より、下は小学生から上はお年寄りまで
女性の参加者も多く、
みなさん、とても興味をもって聞いておられたのが印象的でした。

終ってからもいくつか質問が出ました。
薬研の用途についてや多良にたどりついたとき、島津隊は何人ぐらいになっていたのかなど

皆さんの発言からもいろいろな方向にお話が広がりそうで、今後の可能性を感じました。

上多良区の皆様、また講師の伊藤先生、そしてご来場いただきました皆様、
ほんとうにありがとうございました。

これに先立ち、白拍子谷への案内板も設置していただきましたので、
ぜひ、お天気のよい日には散策してみてくださいね。

         近日中に中日新聞に掲載されるようです。


2016年7月27日水曜日

上多良・白拍子谷に島津豊久の自刃についての解説板設置

こんばんは。

昨日も紹介した8月6日に行われる健康・歴史ウォーキングにも関係のある白拍子谷に、島津豊久の自刃について解説した案内板が立ちました。

今では土地の人も、ここがそういういわれのある場所であることを知らない方も多いので、案内板があるといいねというお話をしていたのですが、上多良区の方が立ててくださいました。

ぜひ、6日のウォーキングに参加して、案内板を見てくださいね。



2016年4月16日土曜日

「白拍子谷」を知って 中日新聞に上多良区の事業が掲載







おはようございます。
今朝の中日新聞で、上多良区で設置された白拍子谷への案内板作成と
たいへん大きく掲載していただきました。

平井記者、ありがとうございました!

本事業は大垣市社会教育スポーツ課の
社会教育推進員による助成金の補助を受けて
上多良区で自主的に行われたものです。
案内板の作成から設置、さらに講演会の準備まで
すべてひとつの財産区で自発的に行われたというのは、
これまでの多良になかったことではないでしょうか。

ぜひ、これを契機にほかの自治会等でも地元の歴史を見直し、
文化を後世に伝えていくという動きが出てきてほしいと思います。

これまでの多良地区では
地元の文化や歴史というものに
あまり重きをおかれてきませんでした。
しかし、それらは宝石の原石。
地域の観光資源になり得る可能性を秘めています。

ぜひ、もう一度、みなさんの足元を見つめ直してみませんか?




2016年8月6日土曜日

第57回 関ケ原戦跡踏破隊のお迎えと健康・歴史ウォーキング

こんにちは。
今日は朝からギンギラギン。
でも、7時半に上多良公民館集合だったので頑張りましたよ。

でも、もっとハードなのは鹿児島からの関ヶ原戦跡踏破隊の皆さん。
今年で57回目を迎える戦跡踏破隊。
健康・歴史ウォーキングをその日にぶつけたため、いつもよりはるかに多い人数でお出迎えすることができました。

まず、7時半から受け付けをし、踏破隊の到着を待ちます。

今回の踏破隊の日程表。
この中に母の実家の寺が入っていると思うと、より親しみがわきました。


子林多良地区まちづくり協議会会長の挨拶


駐車場の係りをしてくださった上多良区の皆さんと多良の駐在さん
お疲れ様でした。


豊田上石津地域事務所所長の挨拶


地域事務所でつくられた歓迎カードをもって待つ人たち


来ました!
昨日は海抜600メートルの駒野を越え、35㎞の旅程を踏破。
緑の村公園で宿泊し、
今日は豊久の墓に詣で、瑠璃光寺でお参り&休憩し、
最大の難所である海抜750mの島津越えをして
多賀まで約35㎞を歩きます。

がんばれ、踏破隊の皆さん。




踏破隊の皆さんが近づくと歓迎の拍手と、たくさんのシャッター音が響きました。


到着した踏破隊一行は豊久の墓に詣で、
そのあと瑠璃光寺へ。

これからウォーキングスタートです。

今回の参加者には郷土資料館の西高木家の写真と図面を印刷したマップがもらえました。


今回御世話になったウォーキング講師の沢村絹子さん。
沢村さんは多年にわたり、大垣市で体育指導員などで幅広く活躍
されている方です。



準備運動ののち、いざ、出発~!
それにしても暑い(^_^;)


西回り線を南へ下り、青空はたけ塾の横を通って
南部公民館の横から堂木川に沿っての道を歩きます。
川沿いは気持ち良い風が吹いています。




橋をわたって、白拍子谷に到着。



白拍子谷に説明版が立ちました。
これで、ここがどんな所かわかりますね。


ちょっと順番が前後しますが、今日のコースについて説明する
スポーツ・文化部会長の三輪重隆さん。



本日歩いたコースです。
全部で4キロぐらいはあったかな。


              豊久の遺骸をほうむったとされる、三輪内助入道一斎の墓


瑠璃光寺に参拝して
記念写真撮影

みなさま、お疲れ様でした~!



先生から講評をいただきました。



             最後はみんなで豊久の墓に参拝。

             今日は中日新聞の平井記者に取材していただきました。
            後日、掲載されることと思います。