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2021年10月23日土曜日

(仮称)上石津学園検討プロジェクト第2回ワークショップが開催されました

 こんばんは。

ここ数日の寒さのせいか、鼻水がとまらず、今日は終日ぼーっとしたまま過ごしました。

夕方薬を飲んだら少し元気になったので、ブログを書いています。

昨日は、表題のワークショップが開催され、参加しました。

四地区から保育園、小学校、中学校PTAの役員さんや各まちづくり協議会、学校関係者などから多くの方が参加され、私は多良地区まちづくりからの参加でした。

やり方は前回と同じでファシリテーターとして、コミュニティ診断士の資格を持つ人々がリーダー役というかまとめ役を務められました。

最初は校舎外の環境整備について、四地区ミックスでA~Dに分かれて、義務教育学校となる現上石津中学校の校舎の外の危険個所などを洗い出しました。

上石津中学校は校舎とグランドが道を隔てて上下に分かれており、小学校1年生にはかなり広い移動範囲となります。そこでグランドの外側に新しい道をつけてほしいということ、グランドにはトイレがほしいなどの要望も出されていました。

次に各地区に分かれて、通学路の問題が話し合われました。

まず、安全面・柔軟性・効率など、何を優先するかを出し合い、そのあとで通学路を見ながら問題点を話し合いました。

やはり一番の問題点は、多良は起伏にとんだ地形で、西山、岩須などの地区は国道までたいへん遠いこと、また奥地区もかなり遠いので、送迎のためのマイクロバスは残してほしいという意見が出されていました。また、柔軟性という意味で、バス停をできるだけ各自治会で地域に近い場所に置くという事なども要望として出されることと思います。

なんだかとても義務教育学校については早い時期にまとめたいということがいわれているように思いますが、昨日の段階では意見の統一というのはかなり難しいと感じました。多良地区の中だけでも難しいのに、上石津全体で公平にすることは現段階ではかなり難しく、本気でやるならばもっと回数を重ねる必要があります。

保護者の方の中には新しい学校での出会いを期待する声もありました。

私は小中学校での出会いってあまり印象にないので、むしろ高校に入ってからの出会いが大きかったように思います。

私は大垣東高校の2回生でした。当時の東高はできたばかりで先生方も優秀な方が多かったです。校長先生は木島徳次郎さんという名物校長で話が短いことで有名でした。わずか1分足らずでおしまい!もちろん生徒からはやんやの喝さいでした。

とにかく、比較的おおらかな校風で育ったことはたいへんありがたいことでした。高校時代の恩師は岐阜の方でしたが、いまでも年賀状はやりとりしています。先生の奥さんが一人娘さんで、私もそうだったので、先生としてはシンパシーを感じていただいていたようです。

その後、北高に追いつけ追い越せでだいぶ校風も変わったようです。

ただ当時は学校群制度で、1群で受けた人の中には、北高に行きたかったのに東高に来てしまって泣いてる同級生もいました。自由に学校が選べない時代でした。


小学校はいろんな人生の荒波にもまれても大丈夫なように、心と体を鍛えるところです。

ですから、ある意味、人生の最も基礎となるインキュベーション(成長を育む場所)です。そのこともよくよく考えて、学校問題にとりくんでいきたいと思います。

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