こんばんは。
いよいよ麒麟が今度の日曜で最終回を迎えます。
実はこのところ、あんまり見ていなかったんですが、今度は見なければ!
岐阜編が終わったところでコロナで中断。
長いようで短い1年でしたね。
ところで、多羅城光秀生誕地説がこんなところでも紹介されております。
日本の入り口マガジン・小学館の和楽web
和楽webのトップページで光秀の名前を入れて検索すると、いっぱい出てきていろいろな説が読めますよ(^^)V
ちなみに私もここで書かせていただいています。
必ずしも岐阜のことを書いていませんが、主に歴史もの書いています。
お暇なときにでも読んでみてくださいね。
まもなく2本またアップされる予定です。
さて、光秀君、おかあさんの石川さゆりさん、無事でしたね。
もしかしてと思いましたが・・いや、無事でよかった!ほんと・・
ところで、本能寺の変が光秀・斎藤利三(さいとう としみつ)・稲葉一鉄の三角関係にあったという説があるのをご存じですか?
斎藤利三はもともと稲葉一鉄の家来でした。娘は後に春日局になったお福です。
彼はなかなか有能な男だったようですが、後に一鉄のもとを離れ、光秀に仕えるようになります。光秀は利三を返そうとしません。そこで一鉄がこれに怒って、信長に言いつけた。信長は利三に切腹を申し付けたというのです。それが本能寺の数日前。信長のいう事は絶対です。利三の切腹を回避するために光秀はあえて主君を襲ったという事らしいのですが・・・
真偽のほどはともかく、はたして、麒麟とはだれのことだったのか。信長を麒麟と思っていたらそうではなくて、それに失望したとか・・・
いろいろ考えながら、本能寺、見届けたいです。
果たして光秀は生き延びて、南光坊天海になったのでしょうかね?
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