昨日でとりあえず終了した「麒麟がくる」の総集編の放映が決定しました。語りは川口春奈さん。帰蝶目線の総集編だそうです。楽しみ~!
光秀役の長谷川博己さんのご挨拶もアップされております。
光秀も良かったけど、正直染谷さんの信長がこれほどとは思いませんでした。
染谷信長はこれまでいろんな人が信長やりましたが、私の中ではトップになりました。
うちの息子なんかはオーソドックスな本能寺でなかったのがいやみたいで、「なんでヤマザキの合戦をやらんかったのじゃ」と怒っております。同様のご意見の方も多いと思いますが、私はこういう未来にふくみを持たせた終わり方もありかなと・・
私なりに大河の1年を振り返ってみました。お暇なときに読んでいただけたら嬉しいです。
いろんな大河ドラマをこれまで見てきたけれど、「麒麟・・」ほどいろいろなことが起こった作品はなかったのではないか。
まず放映間近で帰蝶役の沢尻エリカが逮捕され、川口春奈と交替。さらに始まってやれやれと思っていたらコロナで中断。もうこれで終わりかと思われた。まるで何かにタタられていたかのようだった(笑)
光秀出生地という文献が残る地元としては、多羅城跡はどこだったのか放映中に発見されるといいなと思ったけれど、希望的観測に過ぎず、不明のまま。今後も多分発見されることはないだろう。
それでも大河効果は絶大なものがあり、コロナ禍でその多くが中止になったとはいえ、たくさんの団体から山城散策などの申し込みがあった。歴史の間に埋もれて朽ち果てていたものを掘り起こして、地元を知っていただけたということだけでも励みになってありがたいことだ。それは光秀関連のどこも同じだろう。
そして昨日の終わり方賛否両論あるけれど、これまでにない斬新な終わり方だった。主人公がたった一言のナレーションでその最期を片付けられてしまったのは初めてだ。これをナレ死という。
いや正確には死んだとも言っていない。最後に馬に乗って駆け抜けていく。そして、菊丸に預けた家康への密書。あれは一体なんだったのか。伏線てんこ盛りの終わり方だった。ひょっとすると、2年後の大河「どうする家康」で出てくるのではないかなーんてことを勝手に思っている。ただ南光坊天海説は願い下げだ。
信長が光秀に、「茶でも飲んで暮らそう」と言った時には仰け反ったさすがにこのセリフはありえんやろって思ったけど、そう思わせるのも計算のうちだったのかも。光秀は信長を憎くて殺したのではない。光秀だけが彼のストッパーだったという解釈。
そして事前に秀吉は光秀謀反を察知して、「明智殿が天下を回してくれる」とほくそ笑む。案外これはアリかもと思った。
正親町(おおぎまち)天皇は「我(われ)関せず」を決め込む。坂東玉三郎を天皇に使うなんて、超豪華この辺もっとちゃんと見とけば良かった
理由はともかくも、すでに起こっている歴史的事実は変えようもなく、行間の解釈はある程度、自由だと思う。とにかくいろんな意味で、既成概念を覆した大河だった。
結局のところ、麒麟はなんだったのか
信長でも光秀でも秀吉でもない。ならば家康か。たしかに250年にわたる太平の世を築いた功績は大きいだろう。近代日本においてもまだ誰もなし得ていない。でも家康が麒麟というのとは違う気もする。
麒麟は私たちみんながそう信じて希望を持ち歩み続けることで舞い降りる。コロナ禍の今だからこそ、「麒麟」を「誰もが幸せと感じる社会」という言葉に置き換えてみるならばピッタリくる気がするのだけれど、皆さんはどうですか。「麒麟」が終わった時からほんとうの「麒麟」が始まるみたいな・・
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