日本の原風景 レンゲ田

日本の原風景 レンゲ田

2017年7月21日金曜日

牧田の古墳にコーフン!!

こんばんは。
毎日暑い日が続いていますね。
暑いせいか、このところブログも滞りがちです。
今日は上石津4地区の公民館の運営審議会がありました。
そのあと社会教委員の会議が行われました。

さて、ちょっと前のことになりますが。公民館の歴史を訪ねて講座で、牧田地区の古墳めぐりをしたことをご報告。講師は牧田の谷口隆康先生です。
まずは、牧田支所に集合し、二又公民館へ。

途中、牧田に住んでいたという氏家氏の居館跡。
先生によれば、氏家氏は藤原北家の血筋で平安末期に下野国(栃木県)の氏家郷に土着。
氏家重国は南北朝時代に北朝の斯波家の配下となり、南朝の雄・新田義貞を討ち取ったそうです。(@@)
その恩賞として一之瀬や沢田などに領地をもらって美濃に地盤を築きました。
信長の家来として有名な氏家卜全はこの氏家氏の子孫です。
卜全は伊勢・長島の戦いに参戦し、戦死。家督は長男が継いだそうです。


いよいよ古墳へ向かいます。


古墳への道の草刈りは地元の古墳保存団体の方によって行われているとのこと。
おかげで私たちも歩くことができました。
途中牧田城跡といわれるところを竹藪の外から見学。


名神の下をくぐっていきます。

         
             古墳は山のなだらかな斜面に点在。
            牧田古墳群の東には象鼻山古墳群がありますが、今のところ
           その関係性はないようです。
           

牧田古墳群 桂谷支群1号墳
一番大きくてわかりやすい円墳です。
大和朝廷の影響が色濃く残っているそうです。
かつては酸化鉄で塗られた石室が存在しました。
森の中は歩きやすいように整備されていました。
すぐ下の名神を見下ろすような位置にあります。
6~7世紀のものだそうです。






古墳をまたぐように巨木の根っこが生えています。
ほとんど自然に同化してしまっています。


牧田の二又はその名の通り、二又に分かれる場所という意味合いで、伊勢街道の分岐点だったからだといわれているそうです。
また集落自体も今の場所よりももっと山の方、今の名神高速道路付近がそうであったのではないかとのこと。

いろいろ昔のことを知るのはおもしろいですね。
歴史を知って現代の地域を見てみると、
また違った見方ができるかもしれませんね。

次回の歴史講座は10月5日(木)です。
今度は多良で、髙木貞廣の絵を見るそうです。

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