日本の原風景 レンゲ田

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2012年5月20日日曜日

多良の旗本・高木家と歴史資料館

今では大垣から桑名に抜ける道は国道258号が一般的です。ここはかつて養老山麓を走っている伊勢街道に沿ってつくられている道です。しかし、実は伊勢街道はもう一つありました。それが上石津を通っている国道365号、昔の伊勢西街道です。
多良は伊勢西街道の要所であり、江戸時代には巡見使が通り、かの伊能忠敬も歩いた道でした。

 
 
 
 江戸時代には高木三家と呼ばれる交替寄合の旗本が多良を治めていました。東西南北のうち、南だけがなくて、西髙木・東髙木・北高木家と三つの髙木家があり、本家は西高木家でした。私の一つ上の上級生に西高木家の子孫がおられ、世が世ならまさにお姫さまだったのです。

交替寄合というのは旗本八万騎のなかでも特別身分が高く、その中でも大名と同様に参勤交代を行う旗本だったのです。普通の旗本は若年寄の支配下にありましたが、交替寄合の場合は老中支配。老中っていうのは将軍以外では通常もっとも身分の高い役職でしたから、その支配下にある交替寄合も大名と同様の待遇だったのです。
ちなみに高木三家は、下野の那須・信濃の信濃・三河の三河衆と並んで、四衆と呼ばれるうちの一つで、全国的にも数少ない名家だったことがわかります。

明治以降はその子孫も多良を離れられたりして、現存しているおもなものは西高木家の母屋と門、そして石垣。

草生してはいますが。ここの石垣はすばらしい。石積みで知られる近江の穴太衆の手によるものでしょうか?

 今は西高木家の敷地内に「郷土資料館」が建っていますが、かつては多良中学校(上石津中学校に統合される前、多良は多良中、時には時中、牧田には日彰中学校がありました)が建っており、古びた校舎ではありましたが、私より上の世代の人たちにとっては大変懐かしい場所です。ちなみにこのあたりは「宮」といいます。隣は祢宜上(ねぎかみ)。神社に深い由緒のある地名で、おそらくそれは今も鎮座する大神神社(もとは奈良の三輪山をご神体とする大神神社)に関係していると思われます。
上鍛冶屋に住んでいた私たちは野無坊(のんぼ)を通って髙木家跡の裏にあるくるみ坂をのぼり、高木家の石垣を見つめながら坂を登って中学校に通ったものでした。
「美の衆陣屋跡」のちょっと先には、天然記念物のシブナシガヤが立っていましたが、何年も前に枯死してしまいました。


今では綺麗に整備され、こんな椅子が置かれています。お天気の良い日には外でお弁当を広げて食べておられる方もあるそうですよ。資料館の資料もすばらしい。地元でもっと活用できたらいいのにと思います。
資料館は高台にあるので、すぐそばから多良を俯瞰して眺めることもできます。正面は養老山脈の最高峰、笙ヶ岳。桜の時期も道沿いに桜が咲くのでとても綺麗です。
裏には紅葉やら楠やらムクノキなどの広葉樹の巨木が・・
足元を見ると木の赤ちゃんが顔を出していました。


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