みなさま、はじめまして。
多良へようこそ。
この写真は国道365沿いにある上原地区から、多良のほぼ真ん中にあたる宮地区を撮影したものです。宮地区にはかつて多良小学校とともに多良中学校が存在し、江戸時代には、美濃・尾張・伊勢の水行奉行を務めた交代寄合・美濃衆(高木三家)の屋敷がありました。
明治22年、奥・谷畑・上鍛冶屋・上多良・下多良・宮・上原・祢宜上・前ヶ瀬・西山・三里村が合併して多良村になりましたが、昭和30年に、時・一之瀬・牧田と多良が合併して上石津村に。
その時、多良の名前はほかの3地区とともに地図の上からは消滅したのです。
しかし、どういうわけか、いまだ近鉄バスでは「多良・時」行きという路線名として使われていますし、町外の人に出身地を説明するとき、上石津ではなく、「多良」というとだいたいどの辺りかわかってもらえます。
多良の名は、多良地区の人々の心の中に生きています。
多良地区は西の山(鈴鹿山系)から東の山(養老山系)まで起伏に富んだ地形であり、それだけに様々な地域性がありますが、養老山脈の最高峰・笙ヶ岳(しょうがたけ)が眼前にそびえる緑豊かな場所であり、長い歴史を持っています。
これから多良についてのいろいろな情報を発信していきます。
今年の多良はアツいですよ(笑)♪
旧多良中学校校庭跡から旧東髙木家屋敷跡周辺をのぞむ。
ひときわ大きな松の木は千本松原に植えられたのと同じ松だそう。
水行奉行を務めた高木家は「宝暦治水」の責任者の一人でした。