こんばんは。
なんだかちょっと蒸し暑いですね。夏に戻ったのでしょうか。
今年はイチジクが豊作で、昨日は白ワインで煮てコンポートを作りました。
皮付きのまま食べられてなかなかおいしいです。
庭に生えているミントを飾りに乗せていただきました。
昨日は中日新聞西濃ホームニュースの「HARINCO」で
「西美濃の歴史と伝説」を紹介させていただきました。
さて、今日は思いがけなく、私のルーツをたどる旅をしてきました。
私の先祖は江戸時代の初めに近江からこの地にやってきたそうです。
元いたとされる場所は現在長浜市鍛冶屋町。
木之本に行く途中の山間の地域です。
この川は草野川。姉川の支流になります。
鍛冶屋には草野さんという苗字がとても多いそうです。
案内してくださったのは元産経新聞の記者Iさん。
Iさんは鍛冶屋の生まれだそうで、転勤で関西・中部・北陸をあちこちいかれたとのこと。
お話も面白く、あっという間に時間が経ってしまいました。
長浜の北に国友という鉄砲鍛冶で有名なところがありますが、そこよりも鍛冶屋のほうが古いという説もあるようです。
ここは太閤秀吉ゆかりの鍛冶の村。
なんでも秀吉がここで鍛冶屋の修業をしたとの伝説が残っているらしい。
戦国時代は槍や刀と言った武器をつくっていて、たいそう栄えたようです。
ところが、豊臣家が徳川家に滅ぼされてしまったため、
村は衰退。
江戸時代は野鍛冶の村として知られ、農具などをつくっていたそう。
ここは村の中心にある草野神社。
草野姓のルーツは九州と、この草野川沿いにあるようです。
草野姫命と秀吉などを祀っているそう。
またこの鍛冶屋には太閤踊りというたいへん珍しい踊りが伝わっています。
詳しくはこちらを。
ぜひ、コロナが収束し、復活したら見てみたいです。
町の中には鍛冶小屋が残っていました。
上鍛治屋には鍛冶屋さんがいたという話は残っていますが、
詳しいことはまったくわかりません。
昔の話にはよくタブーがあったりするので、
大きな声で話してはいけないことだったのかも・・
もともとが豊臣家ゆかりの地なので、徳川の世では
なかなか話題にはしづらい話だったのかもしれませんね。
さて、Iさんはボッコ(山仕事の着物や野良着)のコレクターとして知られた方です。
なんでも30年ぐらい前からその美しさに魅了されて集め始めたのだとか。
普通には襤褸(ぼろ)と呼ばれるものですが、
これは時山の伝承館で見た昔の刺し子とおなじです。
つまり、近江の山間の村でも時山と同じ手仕事が行われていたということ。
冬の間の女性の仕事であったとされますが、どんな小さな布切れでも無駄にせず、
リサイクル、リユースして使うことで、
自
今は刺し子というと一般的に幾何学模様であったり、こぎんざしと呼ばれるもので合ったり、とてもデザイン性に富んだものが多いですが、
もともとはこんな一目刺しの素朴なものであったのでしょう。
小さな布を縫い合わせることで、できあがった布は、
もとの布とはまったく違った風合いで、美しい模様の
布になります。
その意味でまた刺し子とは違ったものだと思います。
みなさんのおうちにも襤褸は眠っていませんか?
もしあったとしたら、捨てないでくださいね。
それは襤褸という名前の斬新なテキスタイル。
とても価値のあるもの、美しさを秘めたものです。
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