曲輪や切岸など、山城の遺構がくっきりと残っており、とても興味深いものでした。
しかも、後世のものかもしれませんが、伝説では「里のお姫様のお墓」と呼ばれていたそうです。
たしかに墓石らしきものも残っています。
今後、整備が少しずつ行われるようです。
城主について何も伝わっていないことから、先に見つかった山城同様、戦のための出城という説が濃厚のようですが、何か謎が隠れているのかもしれませんね。
いったい多良には山城がいくつあるのでしょうか・・
ひよっとすると、私たちの知らないところにまだ幻の城が眠っているのかもしれません。
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